転職をお考えの方へ……代表から

以下、ざっくり「転職」と言いますが、初めて就職する場合にも、大半は当てはまります。広く、みなさんの参考になればと思います。
 

[1]岐路

 転職にはとてつもない勇気が必要です。
 自分もそうでした。メーカーのエンジニア時代に弁理士の一次試験(当時は多枝試験といった)にとおり、「エンジニアを続けながら試験を受けるか、特許事務所へ入るか」で悩みました。当時、弁理士試験の倍率は40倍。一生とおらないかもしれない。なら、エンジニアのままでいたい。だけど、このまま密かに勉強をしていたら、ますます合格が遠のく……。
 20年以上も前です。まだ弁理士という職業の認知度は高くなく、仕事の合間に隠れて勉強していました。8科目の論文試験のために、会社を一週間休まなければいけません。知財部や特許部ならまだしも、技術部にいて、そんなことを何年も続けられません。一次試験に2年つづけて合格したとき、腹を決めました。
 ──特許事務所でやってみよう。
 大阪の世界的な電機メーカーから東京の特許事務所へ転職。社員数万人の企業から40名の小企業へ。それまで、世界のどこへ旅しても看板を見かける大企業でした。世界中に仲間がいる、そんな意識があったようです。だから、辞めたときは、ずいぶん心細いものでした。
 さて、どの特許事務所に入ったものか……。
 弁理士の先輩も友人もいません。求人広告の「所員旅行ハワイ全額事務所負担」「伊豆に保養所あり」「長期海外研修」「できる人はいずれパートナーへ登用」云々。魅惑的な言葉がならんでいます(平成6年はそういう時代でした)。
 でも、人生がかかっています。浮かれていれば、たぶんこけます。
 安全を考えれば大きな事務所。だけど、大企業を8年経験した自分にとって、また大きな組織に入るのはどうなのか。それが嫌で辞めたのではないのか。違う、そうではなく、試験合格のために辞めたんだ。なら、安全な大手事務所か。
 しかし、そもそもなぜ弁理士になりたかったのか。「旅先でも、パソコンさえあれば仕事ができる」。ずっと心の中に「自由業」への憧れがあったはずです。
 ならば、堅くない、みんなが楽しそうにしている事務所がよいだろう。ただし、優秀な先輩方がいること。それなら、なんとかなるだろう。大企業を辞めたんだから、もう組織に守ってもらう感覚は捨てよう。
 いくつか事務所を訪問しました。最初の事務所は、所長さんがすごく気さくで、ナンバー2の先生もロジカルで、「いいな」と思いました。ですが、所内は机の間隔が狭く、「ここで働きたくない」と思いました(職場はかなりの時間を過ごすところです)。そのあと所長さんとランチに出ました。会計のとき、私は少なくとも自分の分を払うべき(面接していただいた身です)と思いましたが、所長さんが「きみはいいよ。きみと私とでは、年収が違うんだよ」と言われました。
 はい、そりゃ、そうです。
 その事務所は断りました。
 たぶん、所長さんは私がなぜ断ったかおわかりではないと思います。(そういうところ、人は変わってしまうんでしょうか……。)
 最終的に入った事務所は、トップの方々がバカ話ばかり言っているところでした(「バリウム飲んでちびった」とか)。でも、会話の中の5%だけは仕事の話。とてもしっくりくる、その道で考え抜いた人の言葉でした。
 ──この人たちの下で勉強してみよう。
 正解でした。自由な雰囲気の中、「やるときはやる」(やらないときは飲む)という、メリハリのあるプロの仕事です(別に飲まなくてもよいですが)。いま思うと、堅い大企業的な事務所に入らなくてよかったです。
 その後、縁あり、産学共同のシンクタンクに引っ張られ(もはや転職に腹が据わっていた)、世界中の優秀な学者と映像技術を開発する日々を過ごしました。何時に出社し、何時に帰ろうが、誰も気にしません。仕事さえしていれば。
 自分たちの技術で中編映画も作り(田中麗奈さん主演)、東京国際ファンタスティック映画祭(そういうのがあったんです)の大賞を受賞したり、経産省から予算をもらって最先端の開発をしたりと、エキサイティングな日々でしたが、ある日社長に呼ばれ、
「もう給料が出せない。きみは資格があるから、外で喰いなさい」
 会社の財務が悪化していました。
 困りました。ものぐさな私は、開業など1ミリも考えていなかったので、あわてて特許事務所を訪問しました。ある事務所で所長さんに気に入られ、「海外部門のトップをやれ、年俸は○○○○万円」。感激しました。この○○○○は、自分が弁理士として目標としていた年俸でした。「ここでやる」と決めました。
 具体的な勤務条件等を決めるために、事務所を再訪しました。パートナーの方から「森下さん、最初から○○○○万円必要ですか? スタートは△△△△万円ではダメですか」と言われました(△△△△=○○○○×0.7)。
 何がなんだかわからず、茫然としました。トップの所長さんが○○○○と言ったのに……。しかも、「最初から○○○○万円必要ですか?」とは、なにごとか。
 気持ちが一気に冷め、「もう結構です」と相手の話を遮って、帰ってしまいました。最初に会った所長さんは、「きみはぜひ必要だ」と大変な熱のこもりようだったので、それが現場に伝わっていない事務所じゃダメだな、と思いました。(なお、年俸は「社会が自分をいくらで買ってくれるか」数字です。高くないと、本人の努力不足です。)
 私を評価してくれる事務所がもうひとつありました。面接の後、所長さんに会員制のクラブへ連れて行かれました。(かっこいいけど、なんか、芝居臭いよね。)
 ──この事務所にお世話になるしかないかな。
と思いつつ、どうも所長さんが立派すぎて(怖くて)、あまりしゃべれません。どうしてもこれだけは聞かなければ……。
 「朝は何時からですか。自由ですか」
 すると呆れ顔で、
 「9時だよ。ふつうだろう」
 ……終わった。
 私は中学生の頃から夜型で、朝5時までラジオを聞いていました。(朝型は勤勉、夜型はだらしない、という風潮はどうなのか。)
 人それぞれ、効率のよい働き方は違うはずです。その事務所はお断りをしました。所長さんは「社会人失格」という目で見られましたが、まあ、「自由」と呼んでいただきたい。
 などとうそぶいていたら、入れてくれる事務所がなくなりました。途方に暮れました。
「おれは自分勝手すぎるのかな。みんな、もっと我慢するのかな……」
 そんなとき、産学共同で知り合ったロシアの先生から技術検討の依頼がきました。これは自分で事務所をしろという暗示でしょう。しかたなく特許事務所を開きました。独立ではありません、孤立です。
 それが2000年。メーカーから特許事務所、シンクタンクを経て自分の特許事務所。合計3回転職したことになります。それで収まったからよいものの、ひやひやものです。転職の成否は簡単に予測できません。
 いまこの記事を読んでいる方は、ご縁のあった方です。会社から特許事務所への転職、ほかの特許事務所から弊所への転職等、何か人生の岐路にいる方かもしれません。迷いすぎて、何がなんだかわからなくなっている方もいるでしょう。私もそうでした。それでいいんです。いちど、考え切ることが大事です。

[2]ライフスタイル

 どの特許事務所を選ぶにしても、大事なことは、自分の目標に向けて正しい事務所といえるか、および、自分のライフスタイルに適合するか、ではないかと思います。前者は当然みなさん考えますが、後者も大事です。永く働きます。自由業に憧れるなら、自由裁量性でないと矛盾します。
 弊所の弁理士は、勤務時間の縛りがありません。基本的に歩合制なので、休みたければ勝手に休みます。お客様や事務方のメンバーに迷惑をかけない限り、自由というか、それ以外の方法なんてあるのか、という気持ちです。管理されなければ仕事できないような人では、仕方ないでしょう。
 弊所はこのスタイルに共感する弁理士ばかりです。もちろん、早く来て早く帰る人もいます。私は夜型というだけです。歩合制で、自分の力を試したい人、がっつり仕事をしたい人には最適で、かなりの年俸も期待できる事務所ですが、それに加えて、ライフスタイルを自由に設計できる点は特長です。私がものぐさなこともあり、形式的、儀礼的な仕事はありません。単純に、質の高い仕事をいかに効率的にこなすか、それだけです。(「効果的な昼寝のしかた」をパートナーがみんなに説明する事務所です。)
 とはいえ、効率ばかりを追求する非人間的な組織ではありません。メンバーはみな気さくで、ぎすぎす感とは真逆の雰囲気です。平均で10年に近い在籍年数です(ほかの事務所へ移ったのち、再びうちに戻った弁理士も複数います)。事務員も平均7年です。永くいられる環境。それは確かだと思います。

[3]再び、開発

 1995年、私はメーカーから特許事務所へ転職しました。自由業への第一歩という晴れやかな気分の反面、「もう自分の手で物を作れない」と寂しく思いました。弁理士は有意義な職業ですが、「代理人」です。新製品を産み出しません。
 ──開発がしたい。世の中にとって、意味のあるものを。
 事務所を始めて数年経つと、この気持ちが蘇ってきました。
 いま私は、株式会社フォーカルワークスの代表取締役もしています。私が作った会社で、知財の精緻な評価をもとにビジネスを展開しています。著名国立大学やベンチャーファンドから投資適格性判断の資料として引き合いがあります。また、過去にない金融商品の開発をしています。この会社には、プライムワークス国際特許事務所からも取締役や執行役員が入っています。
 理化学研究所から産まれたガン治療の会社にも取締役として参加しています。ガン細胞を攻撃する特殊な細胞をiPS技術で培養し、患者に戻すことで、ガンが消えます。私が知財の金融へのブリッジをしている特殊な弁理士なので、声が掛かりました。この会社は上場プロセスにあります。やはり、プライムワークス国際特許事務所から支援する弁理士がいます。
 大阪大学発のバイオベース株式会社を私の会社の傘下におき、開発を進めています。100%植物由来のポリ乳酸にこの会社の添加剤(やはり100%植物由来)を混ぜることで、世界初の特性(140度耐熱等)を実現しました。この技術でコンビニの弁当箱の5%を置き換えるだけで、CO2削減効果は、ヒノキで1億2千万本分です。この技術は全地球規模で普及させなければいけません。海外から大きな契約がとれたので、ここも数年で上場へもっていきたいと思います。やはりプライムワークス国際特許事務所から何人か助けています。
 とまあ、特許事務所の枠だけにとらわれない活動をしています。まだほかにも有意義な事業をしています。決して、「もはや物作りができない」と悲観する必要のない事務所です。

[4]BIG WAVE

 転職は迷いまくってください、と言いました。大波のように高い壁です。
 しかし、十分な設計で望めば、大波に乗って、いままでよりスケールの大きな仕事(そして人生)にこぎ出すことができるでしょう。私自身、転職して大正解でした。
 迷いつつ、ふっきる方法。私の場合、条件を作ることが有効でした。
 「2年続けて一次試験にとおったら、特許事務所へ転職しよう」
 弁理士受験は独学でした。難しいですが、一次試験は1年目にとおりました。40倍といっても、一次がとおれば、あとは6倍です。何回もつづけて論文試験に落ちる確率は、5/6×5/6×5/6×……です。3回なら58%。4回なら48%。ということは、4回うければ、通る確率のほうが高いということ。
 2回つづけて一次試験にとおれば、その時点ですでに最初の2回は終わっているので、あと2回だけ挑戦すれば通る、と考えました。(楽観的ですが、悲観的な人は成功しません。もちろん、楽観の前に緻密さが必要ですよ。)
 そこで、条件が決まりました。つまり、「2年続けて一次試験にとおったら、特許事務所へ転職しよう」、そして一気にあと2年で弁理士になってしまおう、と。実際には3回目の試験で合格しました。緻密な計算で、最悪どうなるかのシミュレーションを立て、それでも「死にはしない。むしろ、やらないと後悔するかもな」となれば、トライする勇気が出てきます。
 ここまで読んだ方、いるのかな。
 まあ、うそは書いていないので、何か少しでも役に立てれば幸いです。
 そうした方々の中から、将来一緒に仕事をする人が出てくれば、私も幸せです。

[5]蛇足

 いままで転職の一般論でした。もし、うちを転職先に考えていただけるのであれば、うちと本人の両方がハッピーであるために、以下の人を求めます。あくまでも、傾向ですから、応募資格ではありません。

  1. 前向きな人。
  2. 自分がどこまでできるか試したい人。
  3. 弁理士としては未経験の人。ふつうは経験者を採りたがるけど、うちは逆です。変なクセがついている弁理士よりも、うちで白紙から教えるほうが伸びます。
  4. もちろん経験者も歓迎。ただし、「手を抜く技術」を身につけている人はダメ。
  5. 仲間思いの人。
(2015年10月)

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